小市民の床屋談義

日本のごく普通で平均的な男が日常の事柄で感じたことを好き勝手に書いています。

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なでしこジャパン

最近の話題のほとんどはオリンピック関連が多いのでここでも流行にのってオリンピックの話。


女子のサッカーが予選の最終戦で意図的に引き分けを狙いにいって、結果引き分けで試合を終えた。

そして予選を2位で通過した。

監督は予選を1位で通過したした場合、

1.競技場を長距離移動することによる選手の疲労。

2.トーナメントの組み合わせ上、アメリカなどの強豪と同じグループになる。

などのリスクを考慮し引き分けの指示を出したというような報道がなされていた。


これに対し、批判的な意見を述べる日本国民が少なからずいた。


批判的な意見で私が目にしたものは、

1.引き分け狙いで点を取りにいかないような無気力な試合は、金を払って応援に行った人々に失礼である。

2.わざと引き分けをねらって強いグループをさけるのは卑怯。正々堂々と戦うべきである。

3.子供たちの教育上好ましくない。

など。


色々な見解があるとは思う。

でもこのような意見をいっている人たちは、予選を1位で通過し、次のトーナメントで強豪に負けた場合でも正々堂々と戦ったからメダルなど取れなくても、良くやったと褒め称えるのであろうか?


似たようなケースではバトミントンでトーナメントで有利なグループに入ろうとわざと負けた国に対して出場資格を取り消す処分がなされた。

しかし似てるがまったく違う。

わざと負けるのは誰でもできる。私でもね。

でも本気で勝ちにきている相手の攻撃を防いで引き分けるのは非常に難しいと思う。

力がないと本気の相手と引き分けるのは意外に大変なはずで無気力なプレーだと引き分けどころか負ける事だってある。


多分、今回の件を批判する人は、高校野球で敬遠や隠し玉などを球児が行った場合、「高校生らしくない」とか「卑怯だ、姑息だ」などと批判するのであろう。

よくある皮肉話。「敬遠や隠し玉を批判するなら、盗塁も学生らしくないだろ。相手の目を盗んで塁を盗むなんて。」もはや野球が成り立たなくなってしまう。



サッカーに話を戻すとトーナメントの組み合わせに関係なくても、試合展開や残り時間によって、ボールのキープ時間を長くしたうえでパス回しを行い時間稼ぎをするケースなどよくある話である。



オリンピックにおいて「参加することに意義がある」のは過去の話。(私的には意義があるのだが)

メダルを期待されて取れなかった時の、手のひらを返したような批判や罵倒を私は何度も見てきた。

柔道の小川直也などバルセロナオリンピックで金を期待されて結局、銀メダルに終わったのにもかかわらず堂々としていたため各方面から凄いバッシングを受けていた。

銀メダルでスミマセンとかお詫びをしてればよかったのか?


そんな事を思うと、なでしこの監督はメダルを取るために可能な限りリスクを排し、自ら泥をかぶりながらも冷静に選手に指示を送る頼もしいリーダーではないかと思うのだが。



こんなリーダー・・・国会や東電にいたら原発事故も起きなかったかもしれないと思うのは私の勝手であるが。

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すり替えとレッテル張り

最近、大手メディア報道ならびにツイッターなどを見聞きすると、問題点のすり替えや意見の違う人に大してレッテルを張ることによって自身の主張の優位性を保とうとする表現が多いように感じる。

その中でも特に新聞、テレビなどでは問題点のすり替えが多く、気づくと論点が変わっている場合がある。

そして、ツイッターやSNSなどのネットにおいてはレッテル張りの表現が散見される。


たとえば某放送局。

女性 「なぜ、小沢さんは消費税に反対なのでしょう?」

解説員  「選挙対策です。消費税反対のほうが有利ですから。」

こんな感じである。

でも、実際に小沢氏のインタビューを聞くと消費税の増税に反対しているわけではない。

消費税を上げるにしても無駄を省き、社会保障などの制度をきちんと決めて何の目的のために消費税を使うかを明確にしないと国民は納得しないと言っているように聞こえるのは私だけか。


当初、社会保障と増税のセットだったのが社会保障は切り離し、消費税増税だけをするという野田内閣。

なんの為に増税するかぜんぜん分からない。

新聞を読んでも、テレビを観ても何で今、消費税を上げなくてはいけないのか明確に主張していない。

これでは白紙委任状である。増税分を何の為に使用するか未定ということは、例えば増税した分で公務員の官舎を赤坂に建設することもありである。

でも、新聞もテレビも政局ばかりで具体的内容には触れない。

もはや、社会保障のための増税だったのがすっかりすり替わってしまっている。


小沢氏が国民との約束を守ろうとなどと、まともな事を言うと選挙対策といわれてしまうのもすり替えによる表現である。

逆に、新聞やテレビの解説員のように「状況が変化すれば公約も変わるのは仕方が無い。マニュフェストを破るのは仕方が無い」などと小沢氏が言った場合には嘘つき呼ばわりすると思われる。


ホットな話題では、某プロ野球チームの監督が浮気ネタをもみ消す為に元暴力団関係者に1億円を払ったとの報道。

所属球団が名誉毀損で報道した週刊誌を訴えるそうである。払った事実はあるが、暴力団関係者ではない。暴力団関係者の表現が名誉毀損にあたるからだそうだ。


これも論点のすり替えである。

要は恐喝と思われるケースで1億円を支払ったことが、一般市民の感覚からすると相当に不自然あり、相手が暴力団関係者かどうかはその次の次元である。

しかも、これだけの金額を堅気の一般市民が要求するわけがないと思うのは私だけ?


このように、話の論点がどんどん変化して小さくなり各論の話に落とし込まれてしまう。


小沢氏のケースは何をしても(内容を問わず)彼は選挙のプロで選挙対策でしか行動していないとなりすべて政局がらみの話に落とし込む。


監督のケースではさすがに大手新聞社グループだけあって、金を払った先が暴力団関係者か一般人かの問題にすり替わり、金額の大きさや事件の背景がどこかにいってしまう。



そういえば原発事故後にこんな表現があった。

放射能の被爆より、心配するストレスのほうが癌の危険性があると偉い先生が言っていた。

この場合、実際に癌になった時に放射線が原因ではなく、あなたは個人的に心配性で人よりストレスが強いことが原因で癌になったのであるから国も東電も補償しないとなるのであろうか。

悪魔の証明である。

恐れ入る。



次にレッテル張り。

上記のような内容を記すると、私も「小沢信者」とレッテルを貼られるのかもしれない。


レッテル張りについてウィキペディアには以下の記述がある。

「レッテル貼り」とは、人や物事の多様性を無視して、単純な類型(パターン)の枠組みで捉えて、その類型の名前で呼ぶことである。通常否定的な意味で用いられる。

特に最近目にするのが「~信者」との表現を用いたレッテル張り。

消費税反対派に対する「小沢信者」や放射能の危険を叫び、メディアや国の対応に批判的な人に対する「上杉信者」など。

自身と異なる意見や説を唱える中心人物や著名人を支持する人に対してたとえば「~信者」と決め付け議論を終結させるかもしくは議論に値しないように見せかける。

この「~信者」の根底にあるのは、
信者は教祖に洗脳されており論理的な議論にならない。その主張は支持している者を妄信しているだけで思考停止に陥っている。よって私の正しい理屈は理解不能な人間であり、何を話しても分かり合えるわけがない。

との心理が根底にあるのではないかと思う。


そして、その前段の心理として当然、宗教を信仰する人に対する差別、偏見の持ち主であると思われる。(各宗教団体の方々は抗議するべきである)

すごい上から目線である。自分は世の中の道理をわきまえ、絶対に正しいとの自身に満ち溢れている。洗脳されているお前たちとは違うのだと。

まるで、神のごとき目線である。

驚くことに最近ではこのような表現をリベラルが売りである著名な評論家やコラムニストも行うようになっているのを見かけるようになった。

こんな物言いの人が権力を手にしたら宗教を禁止して、多様性を認めず、意見の違う人を迫害するだろう事は想定できる。

どこかの国のようである。

自分の主張がどのように合理的に正しいかを誠意と敬意を持って語らず、相手の人格や小さな過ちを攻撃することにより貶めて、相対的に自身の主張を正当化する人を私は軽蔑する。


偏差値教育の成れの果て。

偏差値は平均点を50点に設定してそれぞれのレベルをはかる。クラス内で自身の偏差値を上げるには大きく2パターンある。

自身が努力して平均点を上回る努力をするか、まわりの同級生の勉強の邪魔をして平均点を下げるか。

レッテル張りをしている人は後者。
自己満足の為に大きな問題点をすり替え、矮小化しても社会にとってメリットなどない。

原発事故を起こしたり、被害を拡大させた当事者よりも、放射能の危険性をことさら大げさに叫ぶ人や政府、マスコミの対応を批判する人をデマや風評被害を起こしていると批判する人が少なくない。

原発事故直後にアメリカが放射線の拡散状況を速やかに調査し、避難に活かすよう日本に教えてくれたのに隠した関係者より、それを早くから指摘して糾弾していた人がデマ野郎と罵られている。

木を見て森を見ず。

問題を簡単にして白か黒か、右か左かと二元論で論じてもあまり解決しない。

これでは根本の問題がぼやけてしまう。

いったい誰が得をするのであろうか。

他人事?

福井県の大飯原発再稼動が決まった。

かなり財界の要望が強かったようである。


原発推進のテレビ局や新聞社の世論調査の結果でさえ、
反原発の比率が多い場合があるにもかかわらずである。


この件で、興味深かったのは再稼動の福井県の住民と、原発事故避難して仮設住宅に住んでいる福島県の住民の反応の違いである。


私が、観たのはテレビのニュース番組のインタビューであるので、当然その局の方針に沿った内容になるように放送するであろうからすべてを鵜呑みにするわけにはいかないのではあるが。

まずは再稼動の福井県でのインタビュー。(概要)


赤ちゃんを抱きかかえた若いお母さん。
「安全で事故を起こさないようにしてくれるなら再稼動は賛成です。電気が足りないと困るし、経済への影響も心配だから。」

次におじいさん。
「危険なのは理解しているし、問題は色々あると思うが地元としては今まで補助金や関連事業で潤っていたから無いと困る。」

地元の賛成意見のみ放送。

そして、原発事故で避難生活をしている福島県でのインタビュー。

仮設住宅のおばちゃん。
「びっくりした。まさかこれだけの事故になっているのに、稼動させるなんて思っていなかった。信じられない。」


仮設住宅のおじいさん。
「反対だ。オラ達がどんだけいじめられていると思っているんだ。全部、原発(放射能?)のせいだ。
住むところも失った。」


避難した方の反対意見のみ放送。


原発事故が原因で設住宅で暮らしている方にインタビューをしたら、ほぼ再稼動反対になるのは想像できる。

物理的にも精神的にも相当なストレスを受けているわけです。現実的に土地や家屋を失った方も多数いるはずだし、いつ戻れるかも不明な地域もある。



福井県でのインタビューの場合は、特に伝えたい意図はよく分かる。


赤ちゃんを抱いたお母さんが、安全を条件に電力不足や経済を心配して再稼動賛成で、地元のおじいさんが地域の生活維持のために、問題があることは認識しているが再稼動賛成である。

特に、赤ちゃんを抱いてる姿を映し、再稼動賛成との意見を表明している画像にとくに深い意図を感じるのは、わたしの勝手な思い込みかもしれない。



福井県のインタビューで放送されたこの2本のインタビューはまさに典型的な従来からの日本人像をもっとも分かりやすく表現されているインタビューであるように思う。

要は、「お上(おかみ)が大丈夫といううなら大丈夫だろう」という根拠のない安心。また「悪いとはわかっているけど、こちらも生活や色々事情があるから分かってね。」といううやむやに妥協してねという心理。

分かりやすすぎる。


この赤ちゃんを抱えて、原発再稼動を賛成したお母さん。

もし、事故が起きたら何て言うのか想像してみる。

あくまで、私の想像である。

「政府や電力会社に騙された。」とか「絶対に大丈夫と言ってたのに。」とか「責任をとって」とか言っちゃうのかな。


そして、福島の件を含め原発反対と考えている人々は福島原事故の時ほど優しくなれないことも想像できる。

「原発再稼動を容認したのは、あなた達の自己責任である。地域の利権とリスクを評価した結果、再稼動したのだから我々の税金を投入して援助などするべきではない。」などという意見を言う人々が出てきても不思議ではない。

福島においてあれだけの原発事故を経験し重く受け止め、反原発にシフトした人々に、2度目は政府や東電に騙されたというのは通用しないだろう。


別に私は、この母親を批判しているわけではない。

けっこう、この国に多いタイプである。

国や企業を疑わず、問題が発生すると騙されたとか知らなかったとか言う人って結構、多い。

私もそんな傾向が無いわけではないし。

漠然と国のやることや大企業のすることは大丈夫だと思っている。


本当に安全なのだろうか?本当に電気は足りてないのだろうか?などの疑問を持たず、完全に報道を鵜呑みにする。


ところが、民主党があまりにボロボロのお陰?で今まで国民が知らなかった話がたくさん漏れ出てきた。

そこで、一部の人たちは「あれ、国も企業も信用できないのではないか」と思う人たちが少しずつ出始めた。このままではこの国はまずい事になるのではと心配する人たちも散見されてきた。今はまだ国を変えるほどの力はないけど。



ところで、じゃあそんな事を言うお前はどっちなんだ。原発に反対なのか賛成なのかと言われると、以前は賛成だったが現在は反対と答える。

現時点の推進派の意見でまともに納得できる話が一つもない。

最終的に経済力や国際競争力がどうしたこうしたという話で原発が必要だと。


では私の反対理由は、

1.核廃棄物の処理方法が確立されていない。廃棄物も危険であり、放射能の半減期もかなりの長期である。未来人に託すのか。

2.東電のあのいいかげんな対応や安全に対するレベルの低さを思えば、何とかに刃物である。たとえば、絶対に安全な飛行機でもその辺のオッサンが操縦するならとても恐ろしくて乗れないのと一緒。民度の低いと思われる人達にあれだけのリスクのある原発を任せるのが不安である。やばい状況が起きても、こっそり自分たちだけ逃げそう。


一部の識者といわれる人や、一部の有名なコラムニストの中には反原発を唱える人や、放射能の危険を熱く語る人に対して「デマを言っている」や「不安を煽っている」や「風評被害を助長している」と批判している。

そして、その意見に賛同している一般人に対しても「学歴の低い人ほど放射能を恐れる」とか「デマを信じる○○信者達」(○○は学者やジャーナリストの名前)などとレッテルをはり、小ばかにした表現を用いているのを目にする。

でも、放射線がどの程度健康被害を起こすのかに関してはほとんどが素人だし大学教授の「せんせい」方でも意見は正反対だったりするのだから不安になるのは仕方がない。冷静ぶって賢そうに見せている場合でもないと思う。

しかも、どちらが正しいかは数年から十数年のスパンである。

因果関係の立証だって難しいはずである。

今の国の対応を思えば癌が増えても、原発事故とは因果関係は無いと言い張ることも十分ありえると思うし。




今日のヤフーニュースに以下のような記事があった。


行政の順番なんか待っていられない。自分の家族は自分で守る。

 高圧洗浄機を3万円で買い、家の外壁を丹念に洗い流した。東京電力福島第1原発の事故で飛散したセシウムなどの放射性物質の問題は今でも続いている。原発から北西へ約60キロ離れた福島市渡利地区に住む飲食店経営者(42)は一家4人で暮らす自宅を自ら除染した。

 「行政による除染の順番なんか待っていられなかった。自分の家族は自分で守ろうと思った」

 小学1年(7)をはじめ2人の子供がいる。昨年9月のある日、子供が窓の外を眺めながらつぶやいた。「外で遊びたいけど、放射能あるからだめだよね」。少しでも体を動かせるようにと、リモコンを使って運動のできる家庭用ゲーム機を買い与えることしかできなかった。

 川井さんは高圧洗浄機購入のほか、庭の土の入れ替えを30万円かけて民間業者に依頼。除染の結果、毎時2~3マイクロシーベルトあった放射線量は10分の1程度まで下がったが、親としての判断に不安は募る。

 「何が正解か不正解かは分からない。もし何十年後かに子供たちにもしものことがあったら、自分を責めるしかない」(以上一部抜粋)

親としてすごく理解できる。

不明だらけだから可能なかぎりリスクを減らす努力をする。

まさに私の嫌いな言葉であるが、ここはある意味「自己責任」である。

数年後に自身の子供に健康被害が起きて、国や東電を糾弾し賠償金をいくら貰ったところで詮無いことで、後悔しながら生きていくのは嫌だ。

他人事ではないのである。

道義的責任

年収数千万円も稼いでいるお笑い芸人の母親が生活保護を受けていたということで、国会議員が出てくるほどの騒ぎとなっている。

そのお笑い芸人が本日、記者会見をひらいていた。

記者会見をひらいた理由は道義的責任を感じてとのことである。

冒頭、15秒ほど頭を下げていたらしい。

最大手といわれる事務所に所属していてこの騒ぎなので、弱小事務所なら某二股俳優なみに叩かれていたかもしれない。


批判する場合の思考パターンは以下のような感じか。
① 高い収入の息子がいる。
② その息子が母親の面倒を見ていない。
③ だから母親が生活保護を受給している。
④ 一般人の何十倍の年収があるんだから、母親に生活費ぐらい渡してやれ。

もしくは、
① 高い収入の息子がいる。
② 息子は母親の面倒をみている。
③ それなのに、受給しているのではないか。

私の思いつくのはこんな感じ。

でも、法律上はどうなんだろう?
親と言っても世帯が違えばどうなんだろうか?

あくまで、法律上の話である。道徳的な話とは別にして。

世帯が違って、それぞれ生計を独立していたら法律上は問題にならなのではないのかとも思ってしまう。あくまで法律上の話である。

では道徳的な話の場合はどうであるか。

それは、年収が数千万円もあるんだから苦労して育ててくれた母親に、毎月20万円のお小遣いを渡すぐらいしてやれよとなるだろう。


資本主義と道徳との狭間である。

西洋型資本主義の目標は少ないコスト(労力)で最大の利益を得ることだと思う。


楽して稼ぐ奴が偉いのであり、能力の無いものは力に応じて苦労の割りに低い収入で働く。

誰かが大損して路頭に迷うことが分っていても、自身が儲かれば勝ちなのであり、その実例がアメリカでのサブプライムローン問題である。

法律にさえ違反しなければ、どのような手段を使ってもよい。

そう考えれば、今回のケースも制度として問題がないのであれば、手続きを取ることによりお金がもらえるならアリである。道徳的な話は別として。

それに道徳観は国により異なる。

もし今回の話題がアメリカで、制度とし認められていた場合、たとえ息子が金持ちで母親に多額の小遣いを渡していたとしても問題にならないような気がする。

そして、もし問題視されるなら個人ではなくそのような制度が批判されるように思うし、当人も権利を行使しただけだと開き直るようにも思う。


では、日本ではどうか。

これだけ騒ぎになる。それはそれで、ある意味この国も捨てたものではない。

尊属殺人は一般の殺人より罪が重かった国である。

親を大切にする、子は年老いた親を養ってあげるのは当然という文化が日本には古来からあったわけで。
その概念にそぐわないと嫌悪感を感じる人が多数いるということである。

それがアメリカ化することにより、家族は分散して核家族が増大し親との絆が薄れてしまった。(アメリカ化の功罪は別な機会にね)

資本主義の発展に核家族増大は必然であり、日本にとって得るものも多かったが、失ったものも少なくない。


ある球団が入団した選手に数億円単位の裏金を渡していた件を思い出す。

その球団の偉い人は法律には違反していない、規約には違反していないなどと言っていた。
確かにそうなのかもしれない。

私が子供の頃の偉い年寄りは絶対にこんな事を言わなかった。
むしろ、法律云々より道義的、人情的側面を重要視しており節操がありプライドがあった。


そう考えると、道義的責任を感じて記者会見を行い深々と頭を下げたわけで、どこかの会社の偉い人よりははるかに立派であり、もう静にしてあげたらと心情的に思ってしまうのである。

資本共産主義

電気料金審査委員会の発表を目にして、「なんじゃ~こりや」(松田優作風)と思ってしまった。

東電の電気の販売量が企業や工場に6割で、一般家庭には4割であった。
しかし、利益は一般家庭から9割超で企業や工場からは1割にも満たない。

ぶっちゃけ、企業には赤字で電気を販売してその分を一般家庭で補填しているみたいなものか。

企業とは個別に交渉して自由に価格を決めるそうである。交渉しだいで値引きもありである。
その後、宣伝費や社員の福利厚生施設やありとあらゆるコストを電気代に上乗せして一般家庭の電気料金を決めるのである。たとえば、休憩室にあるような健康グッズも電気代に上乗せである。


通常の企業は利益を増大させるには、売り上げを増やしコストを削減するが、電力会社はいくらコストをかけてもすべて一般家庭の電気代に上乗せしてあらかじめ想定した利益を絶対的に確保できる仕組み。
総括原価方式というらしい。どんな事をしても利益が出る。とても普通の民間ではない。

これなら、経団連や大手マスコミなどの大企業などは東電の味方にもなるし原発再稼動賛成になってもおかしくないよね。
自分たちの電気代を一般庶民に払わせてコスト削減ができているわけで。


悔しいのは、頭にきたから他の電力会社に変えてやると言えないところ。

たとえば、トヨタの車に乗ってサービスや品質面で納得できなければ、ホンダや日産の他に色々と選択できる。携帯電話などもまた同様である。ドコモ、au、ソフトバンクなど色々と選べる。

当然、各メーカーで顧客の取り合いが行われるので品質が向上したり、価格が下がったり。
それが競争原理のはたらく資本主義のメリットでもあるわけで。

ところが、電力はどうか。
完全独占でしかも利益を他の企業と共有し、一般市民からNOを言わせず言い値で金を徴収する。
昔のどこかの国に似ている。

そう、まるで共産主義の国家である。
国の資産を一部の共産党幹部で独占し、情報を制限し、国民に有無を言わせず搾取している国家。

これを日本に当てはめると・・・
電力資産を一部の大企業(資本家)で独占し、情報を制限し、国民から有無を言わせず料金を搾取している企業体。

まるで自由競争など無い。

100歩譲って、もし電力会社が国営であり、国の方針として国民国家の為に企業に国際競争力をつけることによりたくさん利益を上げてもらい、税金をたくさん納めてもらう為に優遇しているのなら納得もしよう。

それを民間企業などと言うのでまた腹が立つ。
1兆円の税金を投入し、さらに値上げもして、節電もしろというこの会社が民間か?

何度も言う。国営で国の方針なら理解する。それに国営なら選挙を通じて国民の意志により方針を変えることもできる。

しかし民間で競争相手もいなくて、税金で守られ、価格は言い値で、商品が足りなくなるから使用するなって・・・「なんじゃ~こりや」である。

もう、どうかしている。

ほとんどの日本人は民度が高いので、怒っていても冷静なんだと思う。
私は民度が低いので、「ちくしょうめ~この野郎」と愚痴ってしまうのである。

まあ、愚痴ることしかできないので何とも情けない小市民であるのだが。

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