小市民の床屋談義

日本のごく普通で平均的な男が日常の事柄で感じたことを好き勝手に書いています。

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原発と一神教

昨日、ラジオで武田鉄也さんが興味深い事を話していた。

震災、原発に関して自身の反省を込めての発言のようであった。

なにせ運転中であったので、一言一句覚えてはいないが要約すると以下のような話。

以下要約
原子力はユダヤ人の英知により発展してきた。その原子力は全てをしのぐエネルギーとパワーを有している。まるで一神教の神のようである。そしてユダヤの神は一神教であり絶対的である。

それに対し日本の神は、八百万の神といわれるように多神教の国である。そしてその神々の中にはそれぞれの土地の神であったり、山の神、海の神などのように自然物の神も存在している。

その日本の神々が怒り、一神教である原発を追い出そうとしているのではないか。他国の神よ出ていけと。原発など要らぬと。

古来より、日本においてそのあらぶる神々を沈めるのが唄であり、その唄の歌詞には、土地の名前や自然が表現されていたはずである。その唄を皆で唄うことで平穏を願っていたのではないか。

そしてその八百万の神を怒らせてしまった責任は武田自身にあると。歌手としてそのような唄を作り、唄わなかった自身が使命を果たしていなかった為である。

原発事故を誰かのせいにしたり、政治のせいにするだけでは何も変わらない。自身の責任と引き受けて生きていく人間が必要であり、自分はそうやって生きていく。

以上、要約終わり

武田鉄也さんは心臓の大手術を終えて、さらに哲学的思考になったように感じる。自身の余生や死生観において感じることがあったのだろうか。私も色々と考えさせられる。

科学が全てという立場に立てば、何を馬鹿なとも言えるし、こじつけとも思える。
そもそも神など存在していないのが究極の科学の立場だろう。

逆に特定の信仰を持っていない場合でも、何かそのような目に見えないものや自然に畏怖の念を抱いている人であれば、そうなのかとも思えてしまうだろう。


私としては、どこかの政治家のように天罰だとは思わないが、原発事故に関していえば人間の思い上がりによる人災だと思うし、今まで安全でコストが安いと信じて疑わず原発問題に関する思考を停止してきた私自身にも責任の一端はあると思えて仕方がない。
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イチロー選手の言葉

日刊スポーツでイチロー選手のインタビュー記事で、ある言葉に反応してしまった。

内容は、年齢からくる衰えについての質問に対し、

「確かに紅白歌合戦を見ていると演歌の方が気持ち良くなってきたり、テレビに出ている人の言葉の使い方がやたら気になったり、肌が乾燥しやすくなったりもしている。自分も年を重ねてきたのかなあと実感することはあります。」

なんと、あのイチローでも。孤高の天才でサムライでヒーローでスーパースターのイチロー選手が。

私のような凡人がイチロー選手と比べるなどおこがましいのだが、「イチローもなの~」とうれしくなってしまった。特に演歌のくだり。

私もなぜか三十代後半あたりから演歌が心地よいと感じるようになってきた。

若いときは演歌など興味も無く洋楽やロック、ニューミュージック(いまどき言わないかな)などを聞いてはオートバイを乗り回していた。

それが不思議なことにある年齢を境に演歌の旋律や節まわしが妙に心地よく、気が付くと北島三郎や森進一の歌を口ずさんでいる。その姿は、まさに子供の頃によく見かけたおっさんである。


私は、子供の頃に感じていた「おっさん」のイメージに一歩づつ近づいているようである。


少し心配だったが、天下のイチロー選手もそうなら良しとすることにしよう。

私が新聞を取らなくなった理由

最近、どこの新聞社でも記事や思想性が類似してきている。

以前の私の個人的イメージとして右寄りは産経、読売で左寄りは朝日、毎日というような認識であった。

それが昨今は各社に差異をあまり感じなくなった。
多様性がなく、同じような論調の同じような記事が多くなってきた。

そしてなんか、わざとらしい記事が増えている。世論誘導が露骨で見え透いているように感じてしまう。
また、こぞって国益より他国や財界寄りとも思える記事や社説が多くなり読む度に不愉快になってしまう。


もちろん、大手新聞社といえ企業な訳で自社が利益を上げられるように世論を誘導したとしても批判はできないかもしれない。そもそも資本主義社会とはそういううものだと思うし。

でも利益を追求するのみであるなら、マスコミの看板は下ろすべきだと思う。
マスコミ、特に大手マスコミといわれる新聞社に関していえば第四の権力などと表現され(批判的意味において)、場合によって個人や企業を社会的に抹殺することも可能である。
  
そんな会社が、国家の利益や国民の命よりも自社の利益を最優先してしまったらどうなるのか考えてみると恐ろしい。

人命よりも自社のコストを優先した大企業がどんな災いをもたらすかは、今年の事例を出すまでもない。

この露骨なほどスポンサーである大企業に気をつかい、権力者の強弱によって批判のトーンも変わってしまうそのズルさが背後に見えてしまうので新聞を読んでいるうちに興ざめしてしまう。

そんな事で新聞を取らなくなってしまった。

以前は読売と産経を交互に取っており、その他の新聞勧誘を断る際は、「思想的に合わないので読みません。」だったが、「最近はどこの新聞も個性がなくニュースならネットで事実関係だけ見るので必要ない。」となってしまっている。

はじめに

床屋談義の意味を調べると、「うわさ話、へたな批評、素人解釈、しったかぶりの解説」などとあります。



私の個人的イメージとしては散髪しながら、馴染みの床屋の親父や客同士で勝手気ままに政治批評したり自分がプロ野球の監督になったつもりで采配を批判したりするイメージですね。


まあ 世の中の殆どが素人だらけなわけですから、そんな床屋談義のノリで色々と書いていこうと思います。

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