小市民の床屋談義

日本のごく普通で平均的な男が日常の事柄で感じたことを好き勝手に書いています。

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すり替えとレッテル張り

最近、大手メディア報道ならびにツイッターなどを見聞きすると、問題点のすり替えや意見の違う人に大してレッテルを張ることによって自身の主張の優位性を保とうとする表現が多いように感じる。

その中でも特に新聞、テレビなどでは問題点のすり替えが多く、気づくと論点が変わっている場合がある。

そして、ツイッターやSNSなどのネットにおいてはレッテル張りの表現が散見される。


たとえば某放送局。

女性 「なぜ、小沢さんは消費税に反対なのでしょう?」

解説員  「選挙対策です。消費税反対のほうが有利ですから。」

こんな感じである。

でも、実際に小沢氏のインタビューを聞くと消費税の増税に反対しているわけではない。

消費税を上げるにしても無駄を省き、社会保障などの制度をきちんと決めて何の目的のために消費税を使うかを明確にしないと国民は納得しないと言っているように聞こえるのは私だけか。


当初、社会保障と増税のセットだったのが社会保障は切り離し、消費税増税だけをするという野田内閣。

なんの為に増税するかぜんぜん分からない。

新聞を読んでも、テレビを観ても何で今、消費税を上げなくてはいけないのか明確に主張していない。

これでは白紙委任状である。増税分を何の為に使用するか未定ということは、例えば増税した分で公務員の官舎を赤坂に建設することもありである。

でも、新聞もテレビも政局ばかりで具体的内容には触れない。

もはや、社会保障のための増税だったのがすっかりすり替わってしまっている。


小沢氏が国民との約束を守ろうとなどと、まともな事を言うと選挙対策といわれてしまうのもすり替えによる表現である。

逆に、新聞やテレビの解説員のように「状況が変化すれば公約も変わるのは仕方が無い。マニュフェストを破るのは仕方が無い」などと小沢氏が言った場合には嘘つき呼ばわりすると思われる。


ホットな話題では、某プロ野球チームの監督が浮気ネタをもみ消す為に元暴力団関係者に1億円を払ったとの報道。

所属球団が名誉毀損で報道した週刊誌を訴えるそうである。払った事実はあるが、暴力団関係者ではない。暴力団関係者の表現が名誉毀損にあたるからだそうだ。


これも論点のすり替えである。

要は恐喝と思われるケースで1億円を支払ったことが、一般市民の感覚からすると相当に不自然あり、相手が暴力団関係者かどうかはその次の次元である。

しかも、これだけの金額を堅気の一般市民が要求するわけがないと思うのは私だけ?


このように、話の論点がどんどん変化して小さくなり各論の話に落とし込まれてしまう。


小沢氏のケースは何をしても(内容を問わず)彼は選挙のプロで選挙対策でしか行動していないとなりすべて政局がらみの話に落とし込む。


監督のケースではさすがに大手新聞社グループだけあって、金を払った先が暴力団関係者か一般人かの問題にすり替わり、金額の大きさや事件の背景がどこかにいってしまう。



そういえば原発事故後にこんな表現があった。

放射能の被爆より、心配するストレスのほうが癌の危険性があると偉い先生が言っていた。

この場合、実際に癌になった時に放射線が原因ではなく、あなたは個人的に心配性で人よりストレスが強いことが原因で癌になったのであるから国も東電も補償しないとなるのであろうか。

悪魔の証明である。

恐れ入る。



次にレッテル張り。

上記のような内容を記すると、私も「小沢信者」とレッテルを貼られるのかもしれない。


レッテル張りについてウィキペディアには以下の記述がある。

「レッテル貼り」とは、人や物事の多様性を無視して、単純な類型(パターン)の枠組みで捉えて、その類型の名前で呼ぶことである。通常否定的な意味で用いられる。

特に最近目にするのが「~信者」との表現を用いたレッテル張り。

消費税反対派に対する「小沢信者」や放射能の危険を叫び、メディアや国の対応に批判的な人に対する「上杉信者」など。

自身と異なる意見や説を唱える中心人物や著名人を支持する人に対してたとえば「~信者」と決め付け議論を終結させるかもしくは議論に値しないように見せかける。

この「~信者」の根底にあるのは、
信者は教祖に洗脳されており論理的な議論にならない。その主張は支持している者を妄信しているだけで思考停止に陥っている。よって私の正しい理屈は理解不能な人間であり、何を話しても分かり合えるわけがない。

との心理が根底にあるのではないかと思う。


そして、その前段の心理として当然、宗教を信仰する人に対する差別、偏見の持ち主であると思われる。(各宗教団体の方々は抗議するべきである)

すごい上から目線である。自分は世の中の道理をわきまえ、絶対に正しいとの自身に満ち溢れている。洗脳されているお前たちとは違うのだと。

まるで、神のごとき目線である。

驚くことに最近ではこのような表現をリベラルが売りである著名な評論家やコラムニストも行うようになっているのを見かけるようになった。

こんな物言いの人が権力を手にしたら宗教を禁止して、多様性を認めず、意見の違う人を迫害するだろう事は想定できる。

どこかの国のようである。

自分の主張がどのように合理的に正しいかを誠意と敬意を持って語らず、相手の人格や小さな過ちを攻撃することにより貶めて、相対的に自身の主張を正当化する人を私は軽蔑する。


偏差値教育の成れの果て。

偏差値は平均点を50点に設定してそれぞれのレベルをはかる。クラス内で自身の偏差値を上げるには大きく2パターンある。

自身が努力して平均点を上回る努力をするか、まわりの同級生の勉強の邪魔をして平均点を下げるか。

レッテル張りをしている人は後者。
自己満足の為に大きな問題点をすり替え、矮小化しても社会にとってメリットなどない。

原発事故を起こしたり、被害を拡大させた当事者よりも、放射能の危険性をことさら大げさに叫ぶ人や政府、マスコミの対応を批判する人をデマや風評被害を起こしていると批判する人が少なくない。

原発事故直後にアメリカが放射線の拡散状況を速やかに調査し、避難に活かすよう日本に教えてくれたのに隠した関係者より、それを早くから指摘して糾弾していた人がデマ野郎と罵られている。

木を見て森を見ず。

問題を簡単にして白か黒か、右か左かと二元論で論じてもあまり解決しない。

これでは根本の問題がぼやけてしまう。

いったい誰が得をするのであろうか。
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